エピソード 0 - EPISODE 0

「小康/兆候」前編

 
夜もすっかり更けたころ、俺たちは一緒に店を出た。

「うう……私の書いた本の歴史は、絶対に、正しい……うう、気持ち悪い……」


ドミトリーもすっかり千鳥足だ。支えてやらなければまともに歩けそうにない。

「今日はもう帰ろうか。ちょっと悪酔いしすぎだぞ」


「いえっ! 次の店です! 次の店に行きましょう! まだまだっ!」


嫌な酔い方をさせたなぁと反省する。明日も仕事なんだが。

「まだあなたは私の書いた本の内容を信用していませんっ!」

「信じてるよ。古文書は正しい。お前のご先祖様は立派な人だ」

「うう……そうなんですよ……ありがとう、あなたはいい人だ……」


急に泣き出した。こいつの酔い方は本当によくわからん。
しかし勢いで信じていると言ってしまったが、本心を語れば、ドミトリーの持っている先祖伝来の古文書がもしかしたら事実かもしれないなんて、まったく思ってはいなかった。
その古文書の内容は、俺たちが一般的に聞かされている歴史とは異なったものだし、そんな歴史を心底信じて新たに本にまとめようとしているドミトリーの努力がこの先報われるとも思っていない。これはあくまで酒の肴。酔っ払いの暇つぶしだ。

「それなのに! あの頭の固い役人どもは何もわかってない! 本になればもっと大勢の人に正しい歴史を伝えられるというのに! 私の本の何が間違っているというのですか!」


今度は騒ぎ出す。俺たちのように帰途を急ぐ人たちが何事かと視線を向けてきた。
まったくしょうがないな。

「まあまあまあ。そうは言うがさ、お前の書いた本の何もかも否定されたわけではないんだろう? さっきそういう話もしたよな?」

「ええ、当然です! そのままでも大丈夫と言われた箇所もいっぱいありましたっ! 例えばサラスヴァ王国! そこの記述は、ほとんどが問題なしと判断されましたっ!」

「サラスヴァ王国か。エルフの女王様が治めている国だな」

「むむ? さすがにサラスヴァ王国はご存知でしたか……私はてっきり……」

「酔っぱらってるからって俺を馬鹿にして許されるわけじゃねぇぞ。サラスヴァ王国っていったら自然と調和を重んじる悠久の王国。今だってクリスティーナ女王が治めていて、フォレストアイランズじゃ一番穏健な国だって噂だ。当然知ってる」

「はぁん? サラスヴァ王国が穏健んんん? あなた! やっぱり私の本を読んでいないでしょう!」

「読んでないに決まってるだろ。読ませたかったらちゃんと出版してからにしろ」

「ううう……私の本の何が間違っているというのですかぁ~……」


今度は泣いてしまった。本当に面倒くさい。

「ええとさ……ああ、そうだ。サラスヴァ王国が穏健じゃないってのは、どういうことなんだ? 穏やかなエルフの国だろ? 人間同士の戦争とは無縁じゃないのか?」


ドミトリーはくしゃくしゃな顔で首を横に振る。

「……とんでもない。ギルティイノセント帝国が侵略戦争を起こした戦乱の時代、単独で帝国に対抗できた勢力はサラスヴァ王国だけだったと古文書には記載されています。なぜか。それはダークエルフを従えたサラスヴァ王国が戦闘行為による領土の拡大に成功していたからです」

「サラスヴァ王国も戦争をしていたのか!?」

「もちろんです」


急に酔いが覚めたかのように、表情をなくしてドミトリーは俺を凝視した。

(続く)