エピソード 0 - EPISODE 0

「英雄/梟雄」前編

――半年前。

「ギルティイノセント帝国ってご存知ですか?」


ある日、行きつけの酒場で知り合った新しい友人がそんなことを尋ねてきた。

痩せぎすの体に、ふわふわとした金髪。
貴族みたいな柔和な顔立ちをしていながら、着ているものはといえば布と皮を継ぎ合わせたような襤褸(ぼろ)。
装飾品の類は一切身に着けていないが、肩がけ鞄に彫り込まれた意匠だけは一丁前という、ちぐはぐな優男だった。

名前はドミトリー。
曰く、自分は歴史学者で、先祖伝来の古文書に書かれた歴史を正しく人々に伝えるのを使命としている、って話だ。

「ギルティ……何? 帝国?」


「ギルティイノセント帝国です。今から何百年も前に栄えた先進国家のひとつ。ええと、アスラン王国はご存知ですよね?」


酒の席にはこんな変わった奴もやって来る。

いつも奥の席にいる赤ら顔の呑兵衛おやじ。
ひとり呑みの不愛想なドワーフ。大トラ(酔っ払い)の獣人なんて洒落にもならない。
しかも虎じゃなくて狼だしな、そいつ。

そんなどこの誰とも知れない奴らが集まる酒場には、こんな歴史馬鹿がやってきても不思議はない。
まあ俺自身、ちょっとばかり学のある石工なんていう、はたから見ればおかしな奴のひとりなわけで。

「アスラン王国は知ってる。確か機械産業が盛んな軍事国家、だったよな?」


読み書きや計算、世界の仕組みや歴史やなんかは石工の親方に習った。

文字を覚える暇にノミの使い方でも覚えやがれというのが一般的な職人たちの世界で、うちの親方は少々変わりモンだったようだ。
昔、学がないせいで、こっぴどく騙されたことがあってから、弟子たちにも勉強させようと決めたらしい。

あいにく俺は弟子の中でもノミより呑みを覚えちまった不詳の弟子なんだが。
すまねぇな親方。

「つまり何かい? そのギルティなんとかって帝国が、アスラン王国の前にあった大国って話でいいのかい?」


ちょいとこの酔っ払いに学のあるところを見せつけてやろうと俺は知識をひけらかす。
ここ、フォレストアイランズは今も4つの大国家が浮遊島のほとんどを統治している。
アスラン王国ってのは、そうした国家のうちのひとつだ。

「惜しい! 正確には違います!」


歴史馬鹿は思いのほか喜んで赤ら顔を綻ばせた。

こちとら、こういう反応こそが酒の肴。
どうせ暇は持て余している。

「確かにかつてのアスラン王国は、帝国領アスラン王国でした。工業が盛んだったとされるギルティイノセント帝国を支えていたのも実は鉱物資源が豊富なアスラン王国が傘下にあり、さらにアスラン王国の協力でどの国にも属さないドワーフたちの力を借りられたことが大きかったとされています」


そう言いながら、彼は鞄の中から恭しく古びた本を取り出した。
そいつがどうやら例の先祖代々伝わる古文書ってやつらしい。

「ギルティイノセント帝国そのものはアスラン王国とは別物です。同じ軍事国家ではありますが、親類関係はありませんので、血も継承はしておりません」


鼻息を荒くしてドミトリーは続ける。俺は酒を注ぎながら、次の言葉を待った。

「さて、そのギルティイノセント帝国も、いまや歴史書の中にしか存在しておりませんが、そこにひとりの英雄がいたことをご存知ですか?」


ご存知なはずはない。「知らん」俺の反応にドミトリーはなぜか満足げに頷く。

「ええ。残念ながら彼の名前はどの歴史書にも記録されておりません。しかし父王の姓がシュナイダーであることは判明していますので、彼もおそらくシュナイダー姓であったでしょう。そうですね、仮にA氏。彼のことは、A・シュナイダーと呼びましょう」


偉大な皇帝様もまさか数百年後にそんな愛称で呼ばれるとは思いもしまい。

「彼が少年期を迎える時代、父シュナイダーは在野の優秀な人材を集め、育てるべく、イノセントジーニアス学園という教育機関を設立しています。おそらくA氏もここで学び、その後、ギルティイノセント帝国を支えることになる仲間たちと出会ったことでしょう。ギルティイノセント帝国には四天王と呼ばれる制度がありまして、どの時代にも特別な師団を与えられた最高元帥が四人いたとされています」


「優秀な人材が傍にいたおかげで帝国が発展したと」


「もちろんそれもあります。四天王は確かに優秀でした。しかしA氏の才能が素晴らしいものであったことは言うまでもありません」


断言しやがった。当時を見てきたのかよ、おまえは。

「だが、その、A氏だっけ? そいつの記録はどの歴史書にも残っていないんだろう? なんで優秀だってわかるんだ?」

「唯一この古文書には、彼の才能を知る記録が残されているからです」


なんの説得力もないことが理解できた。

「英雄伝にふさわしく逸話も残されています。彼は少年期に落雷の直撃を受け、しかしそれでも生き延びたのです。しかもそれ以来、天才的な軍事の才能を発揮! それを知るものは彼に『轟雷』との異名を与えました。そう! この瞬間、このフォレストアイランズ全土を統一しようとする強き英雄が誕生したのです!」


(続く)