古文書は持ち帰ることにした。
聞けば聞くほどドミトリーの死は不可解だった。もしかしたら事故死じゃないのかもと怪しむくらいには、すべてが唐突で終息が早すぎた。
……だったらなんだ? ドミトリーが誰かに殺されたとでもいうつもりなのか俺は。
死ぬと同時に家財道具や本をまとめて引き取ったということは、犯人は借金取りの類かもしれない。
いや、貧しい身なりはしていたが、ドミトリーが借金をしていたという話は聞いたことがない。少なくとも俺の酒に付き合える程度には小銭を稼いでいたはずだ。
金じゃないとすれば、次に疑うのは女関係だが、あの変人にそんな甲斐性はなさそうに思える。
だったら他にあいつが殺されるような理由があるか?
「ダークエルフ……」
思考するより先に単語が口を突いて出た。
三か月前、ドミトリーは誰かに見られている気がすると言っていた。そしてその視線の主がダークエルフかもしれないとも。
その時は酔っ払いの戯言だと気にしていなかったが、もしそれが見間違えでなかったとしたら? 本当にドミトリーがダークエルフにつけ狙われていたのだとしたら?
いやいや。なんでダークエルフがドミトリーを殺す必要がある。まさかドミトリーが書いていた本が原因だというのか? 古文書の記述を信じて宝探しを始めたリタの例もあるから、すべて嘘や妄想ばかりというわけではないのだろうが、あんなのはほとんど誰かの妄想だろう?
「ダークエルフといえば……古文書にも何か書いてあったな」
躍起になって内容を覚えたツケが来た。記憶が勝手に古文書の記述を紐解く。
確かサラスヴァ王国の項目だ。
今のサラスヴァ王国はエルフと妖精の国という印象が強く、ダークエルフや獣人の話を聞くことはあまりない。だが古文書に書かれている通り、今のサラスヴァ王国だってダークエルフや獣人を重用しないという事実はないはずだ。まさかほとんど問題がないとされていたサラスヴァ王国の項目にこそ、現政権を揺るがすようなとんでもない事実が書かれていたというのだろうか?
「そうだ。クラウス・エイデシュテット主席武官がダークエルフで……リクハルド・シベリウス大将軍が獣人だ。二人ともセラフィーナ女王の信頼厚く、ギルティイノセント帝国との戦いでも勇名を残した軍人だった。確かクラウス主席武官に至ってはクリスティーナ王女とも懇意で身辺警護も任されていたんだったか」
古文書の記述当時は幼かったクリスティーナ王女も、今やサラスヴァ王国の女王。女王の秘密を守るため、忠臣の誰かがダークエルフの暗殺者を派遣することだってあるかもしれない。
いや、考えすぎだ。はっきりとした証拠があるわけでもないし、サラスヴァ王国なら一介の歴史学者の戯言なんて簡単に揉み消せるに違いない。頭の中で冷静な自分が推論を否定する。なのにどうして、こんな妄想が俺の頭を埋め尽くす。
「何してるの、こんなところで?」
俺はどのくらい道端で呆然としていたのだろう。
呼びかけに顔をあげると、目の前にはリタがいた。
「……ああ。ドミトリーに本を返そうと思って」
ドミトリーの名前を出した途端、リタの顔が悲しみに曇る。もうドミトリーのことは忘れたいのだと思う。しかし無配慮な言葉がさらにリタを傷つけるだろうと予想しながら、俺は自分の考えが吐き出されていくのを止めることができなかった。
「なあ。ドミトリーが殺されたって言ったら信じるか? この古文書に書かれてる歴史が本当で、それが真実だと知られたら困る誰かがいて、だからあいつが殺されたんだと言ったら……信じるか?」
ああ、そうか。
俺はドミトリーの死を悲しんでいなかったわけじゃなかったのか。
ただそれよりも強く、怒っていたんだろう。
この古文書が――ドミトリーが命がけで世に出そうとしていた思いが、突然、途絶えてしまったことに。
途絶えさせた奴がいたかもしれないということに。
(続く)